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Life is ...

kimie

「誰かが私にこんなことを」 っていうカラクリ。

おはようございます♪

なぜか

毎週土曜日の更新のようになっております♩

見つけて読んでくださり

ありがとうございます♪


だけど、

これを書き表すKimieもいないし、

スマホの向こうに「誰か」もいない

カラクリ♫


でも~

読んでくださる方がいらっしゃること、

とってもうれしいです♡

ほんとうにありがとうございます🎵



二元への現れがある限り、

人間関係は続きます。

前にも書いたかなー?


どんな覚者も解放者も二元への現れであり、

感情や思考が現れます。

ただ、

その感情や思考は起こっては消えます。

だから、その感情や思考に囚われない。


これは覚者でなくても、

本当は誰でもそうなんだけど、

二元への現れの多くの人は、

起こっては消えていき、

本当は起きていない。

「いまここ」しかない。

これに気づいていない(忘れている)

だけですね。


Kimieも二元に、精神機能と体で

現れています。

勿論、二元ストーリーが立ち現れます。

感情がわき、喜怒哀楽も現れます。

でもそれは、

起こっては消えていきます。



「いまここ(全体)」で在る。



みんなも本当はそう。

「私」

「私の思考」のカラクリに

気づいていないだけなんですよ♩

起こっては消えていっています。



例えば二元ストーリーで

"意地悪"をされたり、

"イヤミ"を言われたり、

「ネガティブ」といわれることが起こると、

たちまち苦しみのストーリーが

展開しますよね。


「あの人が私にこんなことを…」

「あの人が私にあんなことを…」



「分離した私」がいると思っていると、

こう捉えがちな二元ストーリーです。

それが当たり前だと思い込んでいるけど、



でもこれ、

意地悪をした誰かという個人は居なくて、

意地悪をされた私という個人も

居ないんです。

それに、

"意地悪" も、二元でそうラベルされ、

"イヤミ" も、二元でそうラベルされ、

「ネガティブ」すらも二元でのラベルです。


これらのことは、

非二元・全体から現れた起こり。

それが、いまここの

事実です。


そして、意地悪をした人も居なくて、

意地悪をされた私も居ないんです。

誰かが私に、、、ではなくて、

全体で現れた起こりなんです。


分離した私が居ると、

全てが私に起こっていると感じるけれど、

全体で現れ起こったことなんです。


冷たい言い方に捉えられるかもしれないけど、

全体の表現なんです。


「私は居ない」探求していると耳タコの

これですよ♫ 笑


だからって、意地悪やイヤミなことを

いくらでもしていい、されていいって

おすすめしてる訳じゃないですー♩

(一応これは二元の現れであるので

言っておきます♪)



ただ、

何が起きても自動的。

起こることは全て自動的。


起こることが起こったら、

起こった事実に、対処する。

いまここの事実に対処する。



そしてそれは、

起こっては消えていく。



思考が起こるのも自動的だけど、


思考が起こり

「いまここ(全体)」じゃないことに

想像や妄想が沸いて、

アタフタしそうになったら、、、

苦しみが起きそうになったら、、、



思考に気づいてあげ、

「いまここ」の事実に

ふと、立ち戻る…ことが起きたら、


少し、ホッとが

現れるんじゃないかな♬


起こることは自動的だから、

悲しみが起こっても、

苦しみが起こっても、

それも自動的。


でも、

いまここの「事実」に

気づいてあげることが起こったら

少し、ホッとが起こるかもです♩


「事実」に対処する。

いまここです♫




Kimie